2012年9月9日日曜日



Kids’AU Campの進め方。

2012年8月27日14:30。
こどもたちはちょうど「北東アジアこども運動会」の真っ最中だったころ、第22番ゲルには、
日本、韓国、モンゴル、中国、ロシア、北朝鮮の各国代表とコアスタッフ12名が集まり、テーブ
ルを囲んでいた。来年以降の開催国を話し合うためだ。

2009年に開催した「バイカル湖会議」で、2015年までのだいたいの開催計画は議論され
ていたが、あらためて各国の状況を共有しながら計画を協議した。
当初こそ日本主導で進めていたが、現在Kids’AU Campは、北東アジア6ヶ国の市民連合
として活動している。
開催国も各国の希望、意向など話し合いながら決めていくのだ。

毎年、Kids’AU Campの開催中に各国代表者会議が開催される。
2009年の計画では、2013年はロシアとなっていた。実はロシアの可能性を検討し始めたの
は、も少し前からで、2007年頃から話題にはあがっていた。
しかし、ロシア、正確にはブリアット共和国・バイカル湖での開催については、ロシア側の準
備と、各国からのアクセスの問題が解決されないままでペンディング状態であったのだ。
Kids’AUロシア代表のルダは、できるだけ早い時期にロシアでKids’AU Campを開催したいと
表明していた。

2008年9月にKids’AUモンゴル代表のバット、そしてバブとオディらコアメンバーが下見を兼ねて
バイカル湖を訪ね、現地を視察した。そして翌2009年6月、Kids’AU本部からむさし、さらむ、だいちの3名、Kids’AU韓国から金さんとコアメンバー3名、モンゴルから5人のメンバーが集まって、Kids’AUロシアのルダを訪ねた。陸路で12時間。半端なく遠かった。

ルダの住むウランウーデ近郊に国際空港が開設されたり、ルダの支援者も増えてきたり、環境
が少しずつ整ってきたこともあり、今回の代表者会議でルダは「来年のKids’AU Campはロシア
で開催したい。」と表明した。
スタッフィング、フィールド、プログラムなどは問題ないが、資金の問題が最後まで残った。
Kids’AU Campは独立採算、持ち寄り・手弁当方式の活動なので、開催国の負担はそれなりに
大きい。

そこで、各国のメンバーであれこれ意見を出し合い、参加費の設定を検討したりしてその場で電卓
をはじいて見通しをつけ、さらに各国がしっかりとロシアを支えることをルダに表明することで、ルダ
も開催の決意を固めたのだ。
そこにいた全員がルダの決意に対して、尊敬と激励の気持ちをこめて心から拍手をおくった。

「大変だけど、大事だから。」そういう気持ちでKids’AUのメンバーたちは頑張っている。
国家や民族の境を越えて、同じ北東アジアに生きる市民同士、こどもたちの未来が明るいように
自分たちでその環境づくりに励んでいる。

きっと、私たちにできることは少なく、小さい。それはみんな分かっている。
しかし、こどもたちに賭けているのだ。
大人にはできなかった「普通の近所づきあい」。
おとなには想像すらできないアジアの平和な未来の風景。

こどもたちに、「小さな種」を渡す作業をKids’AUに関る大人たちは地道に取り組んでいる。
咲くか咲かないか、それは分からない。でも、種さえあれば、咲く可能性は消えないだろう。

第22番ゲルに集まった私たちは、そう信じながらこれからのことを話し合っていた。
17:40終了。

























2012年9月2日日曜日



8月28日の「さよならパーティー」が終わるころ、恒例の「感謝のハグ」が始まる。全参加者がやさしく抱き合い、お礼とお別れの気持ちを交わし合う。おそらく言葉は通じてない。
でも、心の中は、あったかいもので満たされている。こどもたちもスタッフも、心は通じるし、通い合うという事実をこの時体験するのだ。
人と人は、こんなに通じ合い、こんなに大事に思えるんだ。そんなことを感じられる大切な時間。

私はKids’AUモンゴルの代表バットと固く抱き合った。毎年のことだが、今年もこどものように涙が溢れた。二人で随分長いこと、抱き合いながら、泣き合いながら、話しをしていた。

musasi「よくやったよ、バット。いいキャンプだった。」、bat「俺たち2020年までは死んでもキャンプ続けよう。」

「死んでもKids’AU Campやります。」これは、随分前からバットの口癖になっている。

キャンプ期間中の27日午後、第22番ゲルで開催されたKids’AU各国代表者会議で2020年までの開催計画が決まった。2020年までに次の世代にKids’AU Campを継承していくことも確認された。

Kids’AU モンゴル代表のバットとKids’AU Camp2012責任者のバブ両名は、自分自身は主催者として、自分たちの上のこどもはスタッフ、下のこどもは参加者という立場でキャンプに臨んでくれた。

他の国でも参加者がスタッフとなって参画しはじめている。
そろそろ、次の世代へのバトンタッチを考える時期でもある。

ある日、バットは私にこう言った。「Kids’AUの仲間は僕のプライドです。」
「バット、お前とこうしてKids’AU Campできるのが俺のプライドだよ。」私もそう話した。

「たんなる自己マンでしょ。」と言われても、「どうせ長くは続かないよ。」と言われても、たじろがないだけの歩みを続けてこれたような気がする。

モンゴルのバット、バブ、オディ、ロシアのルダ、ナターシャ、ユリア、中国のハスゴア、韓国のキムさん、ユウさん、北朝鮮・朝鮮学校のマグべ、トラさん、そしてサラム、だいち、日本の仲間たち。

北東アジアの6つの国のひとりひとりの顔と声と姿が瞬時に脳裡に浮かぶ。
私にとって大事な仲間たち。そして、仲間たちにとって大事な私。心からそう思える。

28日の深夜、Kids’AU韓国代表のキムさんとゲルの前の階段に並んで座って草原の風に吹かれながら、「僕たちなんでこんなことやってるんだろうね(笑)」と笑い合っていた。
これも毎年お決まりの会話。

キムさんとは知り合ってからもう20年がたつ。お互い白髪が多くなった頭を見せあって、目が見えなくなってきたとか、足がもつれるだとか老化自慢しながら、「そうだね。お金も体力もなくて大変だけどね。でも、こどもたちのことだから、大事なことだからね、、」。
キムさんは笑いながらそう話してくれた。









2012年のKids’AU Campが5日間の日程を無事に終えて閉幕した。
ジンギスハーン空港から10㎞はなれたフレーキャンプ場は100棟近くのゲルが立ち並び、
「北東アジアこどもキャンプ村」を出現させた。
6ヶ国から集まったのは104人のこどもたち。とにかく遊んで、とにかく食べて、とにかく寝た。
ひとことでいえば、「楽しかった~!」 何がたのしかったのか?なんて野暮な質問が飛んで
くるかもしれない。でも、とにかく幸せだったのだ。
そこには、違いを楽しむ余裕と、違いに出会う楽しさが満ち溢れていた。

6ヶ国のこどもたちが草原で混ざり合い、語り合い、遊んでいる姿を眺めながら、「これが平和の
原風景だ、、」そうつぶやいた。

このキャンプを支えたのは66名のスタッフたち。モンゴルスタッフは入れ代わり立ち代わりで、実際はもっと多くなるだろう。
とにかく、北東アジアの人々170名が、草原で時間を忘れて一緒に遊んだ。
おとなたちは、子供たちが思い切りあそべるように真剣にサポートした。
こどもたちが思い切り遊べるように大人たちが寝ずに頑張るなんて、ちょっと不思議な感じもするけど。

Kids’AU Campは、大自然の中で、こどもたちがいろんな違いを越えて遊べる場所だ。
こどもたちが大人の都合で一緒に遊べないような時代に平和はないし、未来への希望もつくれないだろう。

まさに、「あの家の子とは、遊んじゃダメよ!」という現実が北東アジアの現状だ。
それは、どこまでいっても、結局おとなの都合だろう。
あちらこちらで、こどもたちの国際交流中止の声が聞こえてくる。
これもこの12年間、ずっと繰り返していることだが、先を見れない大人たちの愚行としか思えない。
子供たちの将来のために交流を中止するのだ!という反論の嵐に襲われそうな時代の空気感。

私が子供だった時、大人がこんなことを言っていた。

「こどもは希望の種だ。未来からの使者だ。」

もし、そうだとしたら、どんなにもめても、どんなにいがみ合っても、種まきだけはやめてはいけないし、種まきだけはお互いに手をださないでおこうよ。お互いのために。明日のために。

「根絶やし」という言葉がある。種もつくらせないということなんだろうか。絶やしてはいけないものがあるはずだ。人類共通の守るべき種があるはずだ。